活動史
1.御嶽山の概要

東側(長野県側)から見た御嶽山。ポスターによく使われるアングルはこちら。

南側の濃尾平野からの1枚。名古屋の方がよく見ているのはこの角度だろう
長野県と岐阜県にまたがる標高3,067mの御嶽山。火山噴出物の地層が幾重にも重なってできる成層火山が,さらに幾つも複合して形作られたとても大きな火山です。火口が南北に連なる独特の山容のため、東西南北、見る方向によって異なる様々な形の御嶽山を楽しむことができます。
御嶽山は長い噴火の歴史を持ちます。およそ78万年前から約39万年前までの火山活動でできた古い御嶽山(古期御嶽火山)の上におよそ10万年前からの新しい御嶽山(新期御嶽火山)が位置する二階建てになっています。新期御嶽火山も、時代ともに火口が移動してできた幾つもの火山体が複雑に重なり合っています。その歴史の重みが現在の雄大な姿を作り出しているのです。
ここでは新期御嶽火山について約10万年前から現在に至るまで、この山がどのような破壊と再生の物語を紡いできたのか、そのプロセスを紐解いていきましょう。
2.御嶽火山形成のタイムライン(新期御嶽火山の歴史)
現在の御嶽山が形作られるまでには、大きく分けて4つの噴火ステージがありました。
カルデラ形成(11万年前~9万年前)
新期御嶽火山の活動の幕開けは、30万年近く休んでいた古期御嶽火山から大量の流紋岩質軽石を噴き出す激しい噴火でした。このとき噴出したPm-1と呼ばれる火山灰層は宮城県でも確認されており、広い範囲に火山灰を降らせる大規模なものでした。この噴火により古期御嶽火山の山体中央部が陥没し、巨大なカルデラ(くぼ地)が形成されました。

写真左の三笠山はカルデラの外輪山だと考えられている。
継母岳火山群の活動(約9万年前〜8万年前)
カルデラが形成された後、その内部を埋める活動が始まります。流紋岩からデイサイト質の溶岩ドームや火砕流が次々と噴出し、カルデラのくぼ地を埋めていきました。

開田高原末川にある岩屑なだれが作った流れ山地形(写真の小さな山々)
出典:全国Q地図(国土地理院測量成果)
摩利支天火山の活動(約8万年前~約5万年前)
火口を移動させながらいくつもの成層火山が重なり,新期御嶽火山の骨格が形成されました。摩利支天山やサイノ河原、奥の院は当時の火口の一部です。
新期御嶽火山の山体が成長した約6万年前には、大規模な山体崩壊が発生しました。崩れた山体は岩屑なだれ(岩なだれ)となり現在の開田高原にあたる場所の谷を埋めました.その名残は木曽馬の里などで見られるたくさんの小山(流れ山)や末川河岸の地層などで見ることができます。岩屑なだれは,西野川・王滝川を下り木曽川へと流れ込み、泥流となって木曽川沿いに約150km先まで到達するという、凄まじい規模の山体崩壊でした。この時の木曽川沿いの地層は「木曽川泥流」と呼ばれています。
山頂域の火口の形成(約5万年前~約1万年前)
継子岳・四ノ池・一ノ池(二ノ池)などで次々と噴火が起こり、現在のような南北に並ぶ山頂の火口が形成されました。一ノ池火口の最も高い場所が現在の剣ヶ峰(3067m)です。

2014年噴火前の二ノ池。現在は火山灰で埋まっている。写真左下が一ノ池、写真奥が四ノ池方面。
3.おおむね1万年前以降の活動

現在の三ノ池。多くの水を蓄えている。
繰り返す噴火
おおむね1万年前以降で少なくとも4回のマグマ噴火があったことが分かっています。この時期で最大規模のマグマ噴火は約8700~8600年前頃の三ノ池(火口)の噴火で,大量の溶岩も流しました。また、数百年に1回程度の割合で水蒸気噴火を起こしたことが、登山道沿いで見られる火山灰層から推定されています。有史以前で一番最近の水蒸気噴火は約1,000年前とされています。
有史以来の噴火
1979年以前の噴火は、歴史記録(文書)には残っていませんでした。1979年10月28日早朝、突然の噴火(水蒸気噴火)が発生しました。この噴火では,地獄谷に直線状に並ぶ10個の噴火口(火口列)が形成されました。火山灰は群馬県前橋市付近まで飛んだとされています。
1991年と2007年には1979年に噴火した火口の一つでごく小規模な水蒸気噴火が起きました。
長野県西部地震
1984年9月14日。王滝村を大きな揺れが襲いました。震源付近では地面の石が飛び上がるほどの揺れにより伝上川上流の御嶽山南斜面が崩壊(御嶽くずれ)し、岩屑なだれ・土石流が王滝村を襲いました。
土石流は王滝川まで達し、川を堰き止め「自然湖」が生まれました。王滝村東地区での崖くずれによる災害なども合わせて,死者29名、住宅全半壊87棟等の大きな被害を出しました。

伝上川上流部(御嶽くずれの岩屑なだれが通過した渓谷)。

現在の自然湖の様子。立ち枯れの木が見られる。
大きな人的被害を出した2014年噴火
2014年の噴火は、戦後日本において、最も死傷者を出した火山災害となりました。噴火は、1979年の火口列の南側に新たな火口列を形成して発生しました。噴煙高度は火口縁上7000m付近まで上昇、最高温度が推定100℃程度の低温火砕流が山頂付近を襲い、大小無数の噴石が1km圏内に飛散しました。それにより死者・行方不明者合わせて63名、下山された方も怪我をされたり全身火山灰まみれになるなどの状況でした。

山頂の白川権現像。現在は修復されている。

同じく山頂にある鐘は噴石の衝突で穴が空いている。

金属の手すりも噴石の衝突で曲がった。さとテラス三岳に展示中。
信仰の歴史
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